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自分の可能性に蓋をしないために

  • sandaminami-doin
  • 5月11日
  • 読了時間: 4分

更新日:6月9日

(道場のすみっこから # 29)

【2026年5月11日の記録】


私は小学五年生の春、少林寺拳法を始めました。

正直に言えば、最初は気が進まないまま道場に連れて行かれたようなものでした。


痛い技を受ければ涙が出る。 怖い思いもする。

それでも、新しい技を教わるたびに胸の奥がふっと熱くなる。

涙目になりながらも、どこか嬉しい。

そんな不思議な感覚を覚えていました。


当時は「柔道一直線」というスポ根ドラマが流行していて、主人公が布団を巻いて階段を転げ落ちて必殺技を身につける、

そんな無茶なシーンがありました。

子どもは影響されやすいものです。

私も家で前受身の練習をしたりして、今思えばよく怪我をしなかったなと思います。


道場では、前受身・後受身・馬跳びなどが準備体操のように日常でした。

少林寺拳法は、私にとって唯一の“運動”であり、同時に“遊び”でもありました。



◆「運動ができない子」という思い込み


ところが学校では、まったく違う扱いを受けていました。

体育の授業では、私はいつも「採点係」。

周りからも「運動神経がない子」と思われ、自分でもいつの間にか

「自分は運動が苦手だ」   と信じ込んでいました。


挑戦して失敗したら笑われる。

できなかったら恥ずかしい。

そんな気持ちが先に立ち、

“やろうとしない”ことが当たり前になっていたのです。


跳び箱のイメージ写真


◆あの日、世界がひっくり返った


ある日の体育。

採点が早く終わったので、校庭の授業に合流しました。

その日は跳び箱とマット運動。


先生が前回り、後回り、飛込み前転を見せて「できる人」と声をかけましたが、誰も手を挙げません。


気がつくと、私、手を挙げていました。


先生も友達も驚いた顔をしています。

「お前に本当にできるのか?」と。


しかし私は心の中で思っていました。


「この前回りの、どこが難しいのだろう」


前に出て、先生の見本通りに前回り、後回り、飛込み前転をやってみせると、周りから驚きの声が上がりました。


その後の大車輪(側方倒立回転)も、胸の高さの跳び箱も、体が自然に動くままにできてしまった。 その瞬間、私の胸に湧いたのは「できた!」という喜びではありません。


「どうして、こんな簡単なことが、みんなにはできないんだろう」


という強い違和感でした。


“運動音痴で採点係”と決めつけられていた自分が、 実は誰よりも軽々とできてしまう

―― その事実のほうが、よほど衝撃的だったのです。


◆私の気づき──「できない」の正体


あの日、私ははっきりと気づきました。


「僕は“できない”のではない。ただ、今まで“やろうとしなかった”だけなのだ。」


少林寺拳法の道場では、毎日のように小さな挑戦を積み重ねていました。

受け身も、馬跳びも、技の習得も、失敗しながら少しずつ上達していた。

できなくても、笑われることはありませんでした。

できるまで繰り返すことが、当たり前の場所でした。

それを私は“挑戦”だとは思っていなかったのです。


学校では、失敗を恐れて挑戦しなかった。

だから、できるようになる機会すらなかった。


「やれば、誰だって上手くなる。 やらなければ、永遠にできないまま。」


子どもだった私には、それが雷に打たれたような気づきでした。


◆そして今──指導者として伝えたいこと


私はもう70に近い年齢になりました。

しかし、あの日の気づきは、今も私の指導の根っこにあります。


少年部の子どもたちには、

「できない」と思い込んでいるだけで、本当はできる力を持っている

ということを伝えたい。


挑戦をあきらめかけているシニアの方には、

「年齢は壁ではなく、ただの数字だ」

と伝えたい。


「技を習う前に、“自分の可能性”を信じることを学ぶ」

それが、私にとっての少林寺拳法です。


◆最後に


努力すれば必ず成功するとは限りません。

しかし、努力しなければ可能性は永遠にゼロのままです。


もしこの記事が、 かつての私のように「自分なんて……」と思っているお子さんや、 新しいことを始めようか迷っている方の背中を、 そっと押すきっかけになれば嬉しく思います。



◆三田南道院からのご案内


三田南道院は、技だけを求める人のための場所ではありません。

自分の可能性を信じたい人のための場所です。


体験・見学はこちらから。 静かに、しかし確かに、あなたをお待ちしています。



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