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物語が残す、可能性の種子

  • sandaminami-doin
  • 2 日前
  • 読了時間: 3分

── 心にそっと置かれるもの



(道場のすみっこから # 30)

【2026年6月10日の記録】



本部道場の中庭に佇む多層塔。静かな光と影が落ちる一角。
本部道場の片隅に佇む石塔。静かな時間が流れる場所。

子どもたちに伝えたいことは、

その場では届かないことのほうが多いものです。


けれど、物語は静かに残り続けます。

指導者よりも長く、時代を越えて、

いつか誰かの心の奥でそっと芽を出す “可能性の種子” として。


今回、紙芝居を手に取ったのは、 そんな見えない種を、子どもたちの心にそっと置いておきたいと思ったからです。


■ 紙芝居との出会い


スポーツ教室の準備を進める中で、

技や運動の前に、もっと根っこの部分で育てたいものがあると感じていました。


そのヒントを探しに、図書館へ向かいました。

棚に並ぶ紙芝居の中から、一枚の挿絵がふっと目に留まりました。

色は控えめで、けれど深い物語の気配がありました。


その紙芝居には、

親の深い愛情 と 年長者の言葉の尊さ 

が静かに描かれていました。


日本に古くから伝わる昔話「姥捨て山」の物語です。

昔話には、子ども向けの物語の形を借りて、そっと教訓が込められています。


■ 武道の学びと、年長者の言葉


武道は、まず 先生の話を静かに聞く姿勢 から始まります。

技を覚える前に、相手に対して 謙虚に向き合う心 を育てるところから修行が始まります。


そして、技の習得においても同じです。

年長者の説明の「奥の奥」にこそ、上達への手がかりが隠れています。

言葉そのものよりも、その背後にある経験や思いを感じ取ることが、武道の学びを深くします。


今回の紙芝居を選んだ理由も、

この 「大人の話を聞く姿勢」 を子どもたちに伝えたいからです。


■ 親心という、静かな光


紙芝居の中には、

自分を山に捨てに行く息子が、帰り道に迷わないように

木の枝に印を付けていく──そんな親心が描かれていました。


これはまさに、吉田松陰の歌にある

「親思う心に勝る親心」  

そのものです。


子どもにはすぐには分からないかもしれない。

けれど、心のどこかに残っていれば、

いつかその意味に気づく日が来る。


■ 不可能に見えることに挑むということ


この紙芝居には、

親の愛情や年長者の知恵だけでなく、

一見不可能に見えることにも、知恵を働かせながら挑んでいく姿  

が静かに描かれていました。


武道の修行も同じです。

自分より大きな相手、強い相手に向き合うとき、

ただ退くのではなく、

「どこかに活路があるはずだ」  

と視点を変え、工夫し、挑戦していく心が求められます。


それは、力だけではなく、

心の柔らかさや発想の転換によって

状況を動かしていくということでもあります。


■ なぜ武道教室で「紙芝居」をするのか


武道の理念は、子どもたちにはすぐには伝わりません。


何度も繰り返し、

話し方を変え、

話し手を変え、

状況を変え、

言い回しを変え、

それでも伝わらないことのほうが多いものです。


けれど、

その時期が来たときに、ふっと腑に落ちる瞬間がある。


「ああ、先生が言っていたのはこのことか。」

「親父が言っていたのは、こういう意味だったのか。」


教えというものは、時を経てから意味を持つことがあると、

自分の経験から感じています。


もしそのとき、

「あの紙芝居……うばすて、なんとかだったかな」

と、物語の断片だけでも思い出してくれればいい。


その記憶が手がかりとなって、

その時の指導者が何を伝えようとしていたのかが、

その子の中で静かに形を成す。


それこそが、

武道における『可能性の種子』を植えるという営み  

なのだと思います。




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