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拳士魂——自分に呼びかける声 |道場のすみっこから #10

  • sandaminami-doin
  • 2022年6月24日
  • 読了時間: 2分

更新日:1月26日

【2022年6月24日の記録】

昔、鎮魂行をさぼって先生に叱られたことがありました。 旧道場の二階、畳の上で瞑目させられ、打棒の先を肩に当てられて、先生が一言—— 「お前、少林寺の拳士だろっ」

その言葉が、今でも心に残っています。

学科的な意味はさておき、私は「鎮魂行は拳士魂を育てるもの」だと思っています。 その意味では、技よりも明らかに大切なものです。


ある方から、こんなお話を聞きました。

職務上の大きな失敗で、責任を取るには命を絶つしかない——そう思い詰めたとき、どこからか 「挫けたらあかんよ。もう一度最初からやり直しなさい」 という女性の声が聞こえたそうです。

やさしくて、懐かしい声。昔、何度も聞いた言葉。 それと同時に、「不撓不屈」「諦めない限り、負けではない」「己こそ己のよるべ」… これまで受け取ってきた教えや聖句が、フラッシュバックのように頭に浮かび、夢から覚めた——と。

「この年になって、亡き母の言葉に助けられるなんて」と苦笑いされていましたが、 私はとても貴重なお話だと思いました。


大切なことを、いつも自分に呼びかけてくれる人がいるうちはいい。 でも、いつかその人たちもいなくなる。 だからこそ、自分で自分に呼びかける力が必要なんです。 挫けないように、負けないように、道を誤らないように。

鎮魂行で唱和する「聖句」や「信条」は、修行の在り方、心構え、そして「拳士魂」を言葉にしたもの。 自分自身に言い聞かせるように、大きな声で、ゆっくりと、一言一言かみしめながら唱和します。

拳士魂は、平時には目立たないかもしれません。 でも、迷ったとき、追い詰められたとき、頑張らなければならないとき—— そのとき、奥底から湧き出てくるものです。


(参)鎮魂行に遅れてしまった場合は、道場入り口で靴下を脱ぎ、素足で道場に入り、平服のまま参座します。 道着への着替えは後。法話も同様。 なぜか?——それは、先人である先生や先輩に、そう教えられたからです。


📷 写真:旧道場の山門(いまはもう在りません)



香川県多度津町にあった少林寺拳法旧本部道場の山門。現在は現存していません。
香川県多度津町・少林寺拳法旧本部道場の山門(現在は現存せず)

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