2022.6.24 道場のすみっこから #10|拳士魂——自分に呼びかける声
- sandaminami-doin
- 2022年6月24日
- 読了時間: 2分
更新日:7 日前
昔、鎮魂行をさぼって先生に叱られたことがありました。 旧道場の二階、畳の上で瞑目させられ、打棒の先を肩に当てられて、先生が一言—— 「お前、少林寺の拳士だろっ」
その言葉が、今でも心に残っています。
学科的な意味はさておき、私は「鎮魂行は拳士魂を育てるもの」だと思っています。 その意味では、技よりも明らかに大切なものです。
ある方から、こんなお話を聞きました。
職務上の大きな失敗で、責任を取るには命を絶つしかない——そう思い詰めたとき、どこからか「挫けたらあかんよ。もう一度最初からやり直しなさい」という女性の声が聞こえたそうです。 やさしくて、懐かしい声。昔、何度も聞いた言葉。 それと同時に、「不撓不屈」「諦めない限り、負けではない」「己こそ己のよるべ」…これまで受け取ってきた教えや聖句が、フラッシュバックのように頭に浮かび、夢から覚めた——と。
「この年になって、亡き母の言葉に助けられるなんて」と苦笑いされていましたが、私はとても貴重なお話だと思いました。
大切なことを、いつも自分に呼びかけてくれる人がいるうちはいい。 でも、いつかその人たちもいなくなる。 だからこそ、自分で自分に呼びかける力が必要なんです。 挫けないように、負けないように、道を誤らないように。
鎮魂行で唱和する「聖句」や「信条」は、修行の在り方、心構え、そして「拳士魂」を言葉にしたもの。 自分自身に言い聞かせるように、大きな声で、ゆっくりと、一言一言かみしめながら唱和します。
拳士魂は、平時には目立たないかもしれません。 でも、迷ったとき、追い詰められたとき、頑張らなければならないとき—— そのとき、奥底から湧き出てくるものです。
(参)鎮魂行に遅れてしまった場合は、道場入り口で靴下を脱ぎ、素足で道場に入り、平服のまま参座します。道着への着替えは後。法話も同様。 なぜか?——それは、先人である先生や先輩に、そう教えられたからです。
📷 写真:旧道場の山門(いまはもう在りません)






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