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技と教えは車の両輪

  • sandaminami-doin
  • 4 日前
  • 読了時間: 3分

更新日:10 時間前

(道場のすみっこから # 21)

【2026年3月1日の記録】

先日、家に帰ると、妻が「ちょっと面白いの見つけたよ」と YouTube を差し出してきました。全国の警察が、警察官志望者の減少に対して“募集ビデオコンテスト”をしているというニュースでした。

動画の中で、娘に「警察官になりたい」と言われた父親が、「つまらん仕事はやめておけ」と返す場面があり、思わず私も笑ってしまいました。

ところがそのあと、娘に「じゃあ、なんでお父さんは警察官になったの?」と聞かれた父親が、少し照れながら「誰かがやらんと、いかんと思ったからや」と答える。

軽いやり取りの中に、どこか胸に残るものがありました。



子どもの頃の「将来の夢」は、肩書きよりも、その時の響きで決まるものです。 私自身、小学生の頃に道場で書いた夢は、パイロット、警察官、少林寺拳法の先生、父の仕事……そんな順番でした。隣の友達が「しがないサラリーマン」と書いていて、そのクールさに妙に憧れたのを覚えています。

今の道場の子どもたちも、将来どんな道に進むかは分かりません。 警察官になりたい子もいれば、ユーチューバーに憧れる子もいる。 でも、どんな道に進んでも、いま身につけた“姿勢”は必ず役に立ちます。



技をしっかり教えることは、武道の大切な一面です。 とくに少年部では、地味な基本技の繰り返しが、将来の大きな力になります。

基本が身についていれば、進学や転居で道場を離れることがあっても、どこへ行っても必ず上達につながります。いったんお休みする時期があっても、大人になって「もう一度やりたい」と思ったときに、また花開く可能性が残ります。

そう思うと、いま子どもたちと向き合っている“基本の時間”は、技を教える以上の意味を持っているように感じます。



技を身につけることと、心の在り方を育てることは、どちらか一方では成り立たず、まるで車の両輪のように支え合っていると感じています。

少年部の子どもたちにとって、厳しい修行に向き合う場面は必ず訪れます。 そんなとき、あらかじめ「不撓不屈」や「修行の意味」を知っていれば、へこたれそうな心を支える力になります。ふと達磨の置物を見て、もう一度立ち上がる勇気が湧いてくるような子に育ってほしいと思うことがあります。

また、人を思いやる気持ちが育っていれば、武道の技を決して間違った方向に使うことはありません。 技と理念の両方がそろってこそ、武道は本来の力を発揮する——長く少年部と関わる中で、自然とそう感じるようになりました。


本部道場にて
本部道場にて


これは、誰かに考えを押しつけたいわけではありません。 ただ、今の門下生のためにも、そしてこれから指導に関わる人たちのためにも、少年指導について静かに考え続けられる道場でありたい——そんな気持ちがあります。


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