見えない修行
- sandaminami-doin
- 6 時間前
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道場では表に出ない、小さな時間があります。
それもまた、大切な修行のひとつです。
(道場のすみっこから # 23)
【2026年3月10日の記録】
先日のこと。
心道館で自主練のために事務所で借用手続きをしていたとき、一階の少年剣道場の扉が急に「パターン」と開いた。思わず顔を上げると、小さな女の子が勢いよく出てきて、給水器の方へ歩いていった。
その瞬間、ふと昔の自分を思い出した。
小学6年生の5月。
夏に完成する新本堂の落成式で披露する演武のため、もう4ヶ月も練習していた頃だ。落成式まであと2ヶ月。月に一度、第一修練道場に集められ、大人の拳士に混じって演武のチェックを受ける日があった。今日はその日。
何度も、厳しく指導され、そして何度も同じところを繰り返しやらされる。 いくら好きな少林寺拳法でも、この日の稽古はさすがにきつかった。
「先生、ちょっと水飲んできます」
「あぁー、すぐ帰ってこいよ」
本当は早く道場を出たかった。
小学生でも、ここで泣いてはいけないことくらいは分かっている。涙がこぼれそうになる。もう少しだけ、涙が出るのを待ってくれ──そう思いながら、ゆっくり扉へ向かった。
道場のすぐ外に給水器がある。やっとの思いでそこまでたどり着き、冷たい水で涙を洗い流した。喉が渇いたわけではない。ただ、涙がこらえきれなかっただけだ。
給水器の横にはキャビネットが並び、拳士たちが寄蔵した達磨の人形がずらりと並んでいた。「不撓不屈」「七転び八起き」──そんな言葉が添えられた達磨たちを、涙が乾くまでじっと見つめていた。涙が乾くまでは振り向かない。しばらくして、無理やり「ニコッ」と顔を作り、また道場に戻っていった。

この道場は、以前から「しっかりした指導をされている」と感じていた場所だ。だからこそ、扉があんなふうに開くとは思っていなかったし、道場生なら水筒を持っているはずだ、とも思った。中からは、他の剣士たちの大きな気合いが響いてくる。その中を抜けて出てきた彼女の背中が、どこか気になった。
書類を作りながら横目で見ていると、彼女は給水器の前でじっと立っている。
水を飲むというより、壁に向いて呼吸を整えているように見えた。
小さく息を吸って、水を一口。
袖口で口元を拭い、もう一度、まっすぐ立つ。
所作はしっかりしているのに、どこか“間”がある。声をかけてみた。
「お姉ちゃん、何年生」
「6年生です」
「いつからやってるの」
「幼稚園からです」
「ええっ、すごいね。これからも頑張ってね」
「はいっ」
受け答えはしっかりしていて、この道場の指導の丁寧さ、ご家庭の熱心さが伝わってきた。扉が開いた瞬間は少し心配したが、話してみると、やはり芯のある子だった。
修行というものは、誰しもこういう場面がある。
誰にも見せず、誰にも言わず、ただ自分の中でグッとこらえる時間。
その小さな“こらえる”が、あとで振り返ると不思議と力になっている。
道場では、こうした姿は表には出ないが、実はごく普通にあることだ。
しかし、この“見えない時間”こそが、心を育てる大事な修行なのだと思う。
私のあの時も、先生は静かに見守っていてくれたのかもしれない。心の中で「頑張れ」とつぶやきながら。
保護者の方へ
子どもたちは、道場で「技」だけを学んでいるわけではありません。
誰にも見せない涙。
自分で立て直す力。
そして、また前を向いて戻る勇気。
こうした姿は表には出ませんが、道場ではごく普通に起きていることです。
そして、この“見えない修行”こそが、子どもたちの心を静かに育てていきます。
私たち指導者も、必要なときは支え、必要なときはそっと見守ります。
強さとは、泣かないことではなく、涙を乾かしてもう一度戻ってくること。
その積み重ねが、子どもたちの芯を育てていくと考えています。



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