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拳士魂——自分に呼びかける声

sandaminami-doin
2022年6月24日
読了時間: 2分

更新日:8月24日

(道場のすみっこから # 10)

【2022年6月24日の記録】


昔、鎮魂行をさぼって先生に叱られたことがありました。

旧道場の二階、畳の上で瞑目させられ、打棒の先を肩に当てられて、先生が一言——

「お前、少林寺の拳士だろっ」

その言葉が、今でも心に残っています。


学科的な意味はさておき、私は「鎮魂行は拳士魂を育てるもの」だと思っています。

その意味では、技よりも明らかに大切なものです。


ある方から、こんなお話を聞きました。

職務上の大きな失敗で、責任を取るには命を絶つしかない——

そう思い詰めたとき、どこからか

「挫けたらあかんよ。もう一度最初からやり直しなさい」

という女性の声が聞こえたそうです。

やさしくて、懐かしい声。昔、何度も聞いた言葉。

それと同時に、「不撓不屈」「諦めない限り、負けではない」「己こそ己のよるべ」… これまで受け取ってきた教えや聖句が、フラッシュバックのように頭に浮かび、夢から覚めた——と。

「この年になって、亡き母の言葉に助けられるなんて」と苦笑いされていましたが、 私はとても貴重なお話だと思いました。


大切なことを、いつも自分に呼びかけてくれる人がいるうちはいい。

でも、いつかその人たちもいなくなる。

だからこそ、自分で自分に呼びかける力が必要なんです。

挫けないように、負けないように、道を誤らないように。


鎮魂行で唱和する「聖句」や「信条」は、

修行の在り方、心構え、そして「拳士魂」を言葉にしたもの。

自分自身に言い聞かせるように、

大きな声で、ゆっくりと、一言一言かみしめながら唱和します。


拳士魂は、平時には目立たないかもしれません。

でも、迷ったとき、追い詰められたとき、頑張らなければならないとき——

そのとき、奥底から湧き出てくるものです。


(参)鎮魂行に遅れてしまった場合は、道場入り口で靴下を脱ぎ、素足で道場に入り、平服のまま参座します。 道着への着替えは後。法話も同様。 なぜか?——

それは、先人である先生や先輩に、そう教えられたからです。



📷 写真:旧道場の山門(いまはもう在りません)


香川県多度津町にあった少林寺拳法旧本部道場の山門。現在は現存していません。
香川県多度津町・少林寺拳法旧本部道場の山門(現在は現存せず)

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